はじめに
これまで、色がついていると思っていた世界が白黒だと気付いたのは、クロアチアのロヴィ二の写真を見た時だった。
平凡な表現だが、青い海を背景にした、美しい中世の雰囲気が色濃く残る白壁の街。
きっと朝の空気はコーヒーと小麦の香ばしい香りがして、昼は冷たい白ワインとシーフードが似合って、夜は赤ワインと音楽に満ちているのだろう、そうスーッと思ったら、行きたくて行きたくてたまらなくなった。
そして、なんで自分は今すぐ荷造りしてロヴィ二に行けないのか、いや、いくべきでないと思っているのか考えた。
-明日、仕事がある
-仕事を無視して行くことはまあ可能だが、その後路頭に迷う
-明日以降に届く通販の荷物がある
-膝の上に0歳児がいる
-実は5歳児もいてロヴィ二を楽しめるのか不明
まあつまり、色々とあって、行けない。
少なくとも今は。
じゃあいつならいいんだ?引退してから、渋る伴侶を何とか説得してツアー旅行に行くのか?そんな馬鹿な。
子供が独り立ちしてから?そこまで我慢する意味がわからん。
そんな折、義兄が亡くなった。40歳だった。色々と考えさせられたが、とにかく人生は有限だ、という実に当たり前のことを、思い出すきっかけになった。
大学を出て、社会に出て、10年以上過ぎた。余りにも自然で巧妙に、会社というのは社員を競わせる。そうやって人を働かせて利益を上げている。その場しか目に入らないよう、その場の競争に勝つだけが生き残る道なように見せる。
そこで頑張ることが自己実現であるかのように。そこで全力を出し、他で体力知力を使わないように。不労所得なんぞ得てしまって、使い倒せなくならないように。
そういう風に感じるように、なってしまった。いきなり飛び出すことはしないが、準備と練習を重ねて計画的に自由になる。それまで、日記とはいかないまでも、考えたことを書き記しておこうと、このブログを始めた。